徒然草を借りてきた。

以下日記になる。
20:06 2005/05/19
つれづれなるままに・・・・
月日は百代の過客にして
行き交う人もまた旅人なり。
ときの松尾芭蕉は、人生を旅人と
喩えながら、旅をしていった。
昔に戻りつつ、過去を
歴史をさかのぼる旅をしたり
空間的2本の足を交互に前に
一歩一歩歩きながら・・・
旅をしていく。

古今東西だれもが”旅人”として
時間旅行なり現実にその場所旅行先で
同じ思いをしながら、いつかまた、

経験するであろう、そのときに
この道このたどったであろう家族旅行
や山登り山菜採りをしながら、

徒然草を水先案内人として、
北へのぼり宮城県関にわたり公の施設
を見学「明家」あきやと呼ぶ。
七ヶ宿ダム経由万蔵お稲荷経由国見町経由
そして中茂庭へ帰宅した。
あれが最後の家族旅行だった。

ダイハツ軽自動車はその後、交通事故から
ぼけちゃい。示談。

三男の離婚騒動や絶え間ない家庭内の異常環境
から感情的な声のキャッチボールは父を
だいぶ苦しまさせたに違いない。
最後の、入院ベッドで当日あったときは
父の体はうまくいかずに、足先から青くなり「えし?」
死にゆくところになった。
えし???わからずに口走った言葉だった。
壊死そのものであった。足からっゆっくりと
上半身に
かわいそうだったなあ。

一時的な太り方と急激なやせ方のすえにだ。
どくだ。どくが入っているとほのめかされたが
後日、なんかの際に、糖尿病の経過は、毒素が
体からでて死に至る。ともあり。老衰とでも
考えるしかないだろうなあ〜。
脳梗塞 2回目では
その前に大きな大動脈瘤による手術も経験しているし
苦しまないで天国にと
願う母の姿があった。