遅れるべきかトイレ文化の普及

保健福祉の目まぐるしい発展は、ヨーロッパ文化交流の賜物。されど、高負担高福祉の文化をそのまま受け入れたわけではなかった。内部葛藤(ジレンマ)の末に、高齢化社会の未来予測、少子化の近代国家特有の現象、戦後の遅れた日本が高度成長期を過ぎて、第2の世界恐慌の影響を受けながら「エコノミックアニマル日本」さえ返上された。
コンピュータ社会は20世紀終わりに世界的に広まった。各国凌ぎをけずりながら時代を支える教育から始ったが、今でも日本は遅れていると考えているのは、皆同じだろう。
 「でもやっぱり日本(文化)は進んでいる。(遅れるべきだ)と仮に言われているとすると・・・」どこにあるのだろうか。24時間日常生活の中で・・TV放映作品の記憶の一片に「日本のトイレ文化」がある。トイレウオッシャーの普及は、一般の小売専門店やコンビニエンスの一部にさえも普及した。日本食自体が、七味唐辛子や唐辛子、粉末から輪切り、そそまま乾燥させただけのものまで必要とし、調理には欠かせない。入れると一日やる気さえ出てくる。キムチ料理はトマトも入るためよけい受け入れやすく食堂メニューのひとつにさえなっている。反面、病院の肛門科の患者予備軍は増えつつあるが、トイレウオッシャーが病気を克服する手助けとなっているのである。
いまさら、国内で、トイレ文化の発展について遅れるべきと海外から申し入れがあったとしても、肛門科の患者を増やし衛生上好ましくない。遅れてはならないのではあるが。
ただし、農業の発展からするとどうだろう。有機農業の発達を阻害するとするならば牛糞なり牧畜の糞を利活しての農業の発展がモットー。人糞での有機農業は、トイレ文化の発展を遅らせている。
公衆衛生上と有機農業の発展は相反するところにあるのである。海外は、(話題の中心が、農業面優先となると)やっぱりトイレ文化の発展は遅らせられてしまうのではあるまいか。トイレは下水道の普及を促すが、地下水からの飲料水よりも上水道の普及を促す。そのためか、コンビニエンスや自動販売機の飲み水を買う時代が大都会の日常定番の生活となっている。