バベルの塔建設と現代事情

 工業化社会と現代、脱工業化社会と現代、情報化社会と現代、危機管理社会と日本どれもこれも、現代に生きる人々の幸福追求のための水先案内人として道標をまとめていったものではないか。

工場誘致することで人々が集まり製造業盛んなタウンの始まりだ。公害規制が叫ばれると住みやすさを求めての脱工業化社会を求め、昔の自然(谷、川、田んぼに住んでいた生物)の復元・復活を現実化していった。

 

 1923年9月1日関東大震災マグネチュード7.9が首都圏中心に発生しどん底まで落ちた日本に追い撃ちをかけるように、世界経済不況の波が1929年から1940年まで日本経済を落とし荒れていった。

 

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日本が遅れて2000年以前に情報化していったのは、第2次世界大戦時に使用された原子爆弾だった。NHKTVの夜半に見た記憶だったろうか、長崎、広島は大変な惨事だったが、原子爆弾が最初から完成されたものではなく、47都道府県2個ぐらいづつの割合で模擬爆弾投下があったとのことだった。爆発性が低かったらしくそのまま情報は流されてしまった。

戦後の地雷解除問題が残るベトナムと、爆発性が低く100個近く原子爆弾が落とされた日本とでは、危機管理社会面では比較に値する社会とも言える。

進んだ科学を持った先進国に1945年に日本は敗北し、その時の日本事情(地震雷火事親父事情ともいう日本版危機管理社会)を鑑み、戦争放棄と理想の国家建設を目標とした日本社会を日本国憲法に盛り込まれた。

現代風に理解すると戦争放棄とは、戦争という日本語熟語が死語字典に放り込まれた状態といっても過言ではないだろうか。戦争を使った発展論は、自己防衛戦までは可能ではないかとか、そこには、青天井の国家財政さえ想定する軍事国家が見える。

現在の日本が年中抱える自然災害発生時には、ベトナムと同じく原子爆弾不発弾処理しながら治山治水ダム事業しているのが現代だ。

 自然災害は、マグニチュード10にだんだん近くなってきて、「日本沈没」という近未来的な有名SF小説が売れた日本では、地球温暖化で、かつての国土が海に沈み他国へ移動して国家再現していく他国にいつ仲間入りするかもしれない恐れがある。

 戦争社会に組み入られる前に、いつも自然災害が発生し続ける厳しい自然を、聡明な視点で見え据え、国土保全に努力する必要がでてきている。否、地震雷火事おやじの発生のきず跡に発生せざるを得ない人間社会の貧富化から立ち直るまでをサイクルとした国民生活の保全も完全と立ち向かうべき時代だ。

 へたすると、すぐに、時代劇の伊達政宗公の夜襲撃を土台とした戦略や、ステルス無人飛行機や、宇宙戦争ともいうべき宇宙船からの地上爆薬庫へのレーザー光線による007並みの発想が生まれやすいが、素人のため飛躍を避けたい。

 情報社会が日本を襲うのは、原子力エネルギー文化からだろうか、月へ月面着陸したのはソビエトが最初だが、戦後、機械文化でよく話題されるのは、ソビエトの機械は、故障したときは、ハンマーで叩いて治すほど頑丈な機械だった。精密機械になるとそうもいかないが、郵政省が設置され全国に郵便局が配置あったが、あの時すでに通帳は機械印字であった。これが日本社会の情報化社会の始まりだろう。

 「新コロナウィルス」が新聞上を賑わしているが、現在はどうかというと、バベルの塔を建設するときの住民の立場(受動的立場)というところか。

 国家が事業を開始する時、学会がその先駆者を集めて事業を始まるのだが、住民は受け手で受動的だ。自然災害に値する「強い毒」が全国的に散らばっていく未来予測を土台とした「弱毒化」という熟語が新コロナウィルスに足跡を残した。

 これは、あたかも「バベルの塔」建設時の先駆者が指導しバベルの塔を無知な住民が建設協力するとともに破壊工作に参加するあのアニメ「バベル2世」の無知な住民役を日本国民が演じているような気がしてならない。

 身近事業のため地方自治体の保健所なり、農業普及所なり弱毒化科学を駆使できる底辺養成を早くすすめ理解のある住民が増えてこそ理想の国家建設事業がより完全な理想社会を生むのだ。なんか、一気に解決できるだろう主義が未解決に終了してしまう日本のウヤムヤ事業にならないかと不安な新コロナウィルス時代の住民(国民)を演じている。

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水毒には、ラッパのマークの正露丸?? ^^;

公務員任命式には、特別公務員の議員も宣誓書「日本国憲法服従して・・」を読まされてから公務に従事されるのが常識でないでしょうか。? ^^;